( '-' )

つらつらと身勝手にいきます

2016年まで生き延びた

f:id:m_n_f:20160101115419j:image


さようなら2015
こんにちは2016
(時間的にはこんばんはでした)
 
2016年最初の音楽はくるりトランスファーでした。あの、切ないで言い切れないほどのなんとも形容しがたいメロディーを生み出せるくるりは、やっぱりとっても、素晴らしくて、
 
 
2000年代16年目を迎えるまでまた一年生き延びることができてよかった。わたしは夜行バスに乗ること一つにしても、足柄SAまでは事故なく生きて帰ってこられた、土山SAまでも来れた……やっと大阪まで無事にたどり着けた、という具合に今現在まで生きられたことにいちいち安心しながら生きている、そんな人間なのだから。
 
今年も色々あったとか色んな経験をしたとか、過ぎてみれば今年はあっという間だったとか、同じことを飽きもせず繰り返し言う。でも濃ゆいことを毎年毎日繰り返しているのだから、人間の一生、誰しもなかなかの価値があるものだとも、わたしは思う。
 
2016年は活動の鬼になる、とか大見得切ってみる。
観たいライブも、会いたい人も、今しか出会えないものたちが数えきれぬほどある気がするし、こんなに自由なのもあと数年のフリーター生活の間だけなのかも、しれない。
 
 
あと、そうだ、インスタントカメラで色んな写真を撮り溜めて、一気に現像するというとてもやってみたかったことをする。毎日。過去を振り返って思い出に浸るのがダイスキなダメな奴なんです。へへ
 
 
Yogee New WavesのClimax Nightは、 2015年よく聴いた曲の一つ。2015年は(歌詞を大雑把に引用すると、)コーラを飲んで、泣きじゃくるような日々の詰まった年になったからだろうか。2016年はどんな音楽の歌詞に想いを馳せ、胸を痛め、季節の変わり目を意識させられ、そしてたまに前向きにさせられるのだろう。
そんなことを考えただけでワクワクするからわたしは到底音楽から離れられないのかも、しれない。
 
 
もう話がなんのこっちゃ
 
 
 

なにが言いたいでもない

電車で人目をはばからず爆睡してしまった。

ウォークマンドレスコーズの新譜を流し終え、SANABAGUNのラップを淡々と流す。
目の前に賢くて有名な地元の高校の制服を纏った女子高生が立っていた。自分よりずっと大人びて美人な彼女をじっと見つめてしまう。綺麗な人というのはその場に存在するだけで価値が生まれるから素晴らしい。
ふと周りの人間を見渡す。みんな揃って綺麗な靴を履いている。それがうん万円のシロモノなのかただのありあわせの靴なのか、それらの「違いのわかる人」ではないけれど、ただただ皆靴が綺麗なのだ。自分の靴は見なくても綺麗でないことが分かるから、見ない。大人になるというのは足元という盲点になりそうな所に気を使えるようになることなのかもしれない。もし今誰かが足元を眺めでもしたら自分だけが数少ない靴が汚い側の人間に分類されてしまうかもしれない。こんな馬鹿みたいにどうでもいいことを考えるのが得意。
 
自分の最寄駅は美人女子高生の最寄駅でもあった。爆睡のせいで外が寒い。コンビニエンスストアに立ち寄り滞納してしまった高い保険料を支払い、やれやれと帰ろうとするとレジに携帯を忘れた。やはりイケてない自分であった。外に出てイヤホンを耳に戻すとRadioheadが流れていたからそのままパラノイドアンドロイドを聴いた。きっと冬が近い。
 
そうだこのよく分からない思想も全部寝起きのせいだ
 

youtu.be


このPVは不気味で怖いというのが率直な感想。アニメーションは人の心に直接的に訴えてくるから時にリアルなものよりも怖いと感じる。そのような不気味なPVを何回も観ていた高校生の私は決して病んではいなかった、はず。


なんてことない出会いのはなし

違う場所で生まれ、育ち、知らない人たちと青春時代を送ってきた、

今この時に同じ時間を過ごす人たちとの関わりってとても貴重。

きっと今日以外で一生会うこともない人。そういう決して自分にとって近いとはいえない人たちと関わり、

何かを学んだり感じ取りながら毎日を生きていけたらどれだけ人生の濃度は高まるだろう。

 
奥田民生の神戸公演にいったとき、席に着くなり隣の30代ぐらいのお兄さんに話しかけられた。
 
え、お姉さん1人?いくつ?
あ、ハイそうです21です。
 
自分をはるかに上回るテンション。よほどライブが楽しみなのだろう。
 
珍しいなーすごいなー!!
…すごいんですかね…はは…大阪から来ました。
俺もやで!え、なんか…なにが好きなん?
わたしユニコーンが好きで…
ユニコーンか!ええよな!
 
溢れる明るい人感、良い人感。連れのお姉さんが席に戻る。
隣のお姉さん1人できたんやってー!え、そーなん?わたしのこと話してる。話に反応していいのか悩む。
でもちょっと聞きながら笑ってたら話に入れてくれた。
 
21やったら一緒に民生のライブ来てくれる人おらんやろなー。
まあそですね、、はは。
周りの友達はなにがすきなん?
周りはカナブーンとかですかね。
カナブーンな!!!カナブーンとキュウソな!!あっ開演するわー!
 
…わたしキュウソもカナブーンも嫌いじゃないけどなあ。
お姉さんもお兄さんも一つ一つの反応が大きくていかにも大阪人で、そしてとてもいい人だった。
ライブ中後ろの席に移動してスタンディングでノリノリで聴いていたお兄さんは、案内係に自席に戻されてた。
いいやん3階席でだーれもおらんのに…という不満気な声が聞こえてきた。
そりゃ自席以外で観るのはダメなんだけど、なんだかちょっと可哀想に思えた。
さっきまで知らない人だったのに僅かな関わりで可哀想と思ってしまった。人間贔屓の生き物だ。
同じ物事一つにしても、視点が変わると受ける感情も大きく変わってしまう。
 
帰る際も、気ぃ付けて帰りや!とにこやかに話しかけてくれたお兄さんたち。
挨拶をして1人で会場を後にし阪神電車に乗り込んだけど、偶然か必然か、難波で再会した。
一生のうちこの日限定の縁。
 
あれー大阪の子やったんやー!
 
明るい声で話しかけてくれたお姉さん。
 
お前はそんなこともしらんかったのか〜〜?
 
さらに明るく冗談めいて返すお兄さん。
楽しそうな二人組だけどきっと恋人ではなくてライブ友達なのだろうなあとか勝手な想像をしてみる。
セトリが昔の曲多かったですねとかよくライブいくんですかなんて話してたけどすぐにさよならになった。
きっともう会うことはないだろうけど、だからこそいいのかもしれない。
ライブはやっぱりそこで鳴らされる大好きな音から様々な感情を受けとって取り込む時間なだけでなく、
こうやって出会いの場にもなりうる。
そしてそういう出会いすらもライブへの期待になることがあるのだと思っている。
 

youtu.be

 

初めてライブで聴いた御免ライダーはイントロからグッと心を持ってかれた。

隣のお兄さんたちもイントロからもうそりゃノリノリだった。

音楽ってやっぱり最強。

 

40年を生きた名盤のはなし

わたしは音楽が好きだが、到底音楽ライターにはなれない。文章力云々は勿論のこと、主観的な語りしかできないただの音楽ファンである。しかしながらこの感動というのか、興奮というのか、良いモノに出会ってしまったからには誰かに話を聞いて欲しくて欲しくてたまらないというタチの悪い仕方のない奴であるというのも、また事実。

------------------------------

 

 

 

永遠の名盤 シュガーベイブ『SONGS』が発売されたのは今から40年前、1975年のことである。本作は今まで一度も廃盤になることなく、40年の間にリマスター、リミックスを経て更新され続けている。私が聴いているのは、2005年にリイシューされた30周年記念盤である。

私が一番に言いたいことは、兎にも角にも「2015年の今においても全く古くない音楽である」ことだ。

本作が経てきた40年という年月はあまりにも長い。単純に考えても生まれたばかりの赤ん坊だった人間が学業を経て成長し大人となり、幾多の恋を経験し、誰かとの間に子供の一人や二人もつぐらいの年数である。(なお言うと、わたしはまだその半分しか生きていない)世紀を超え、様々な新しい音楽が生まれ、レコードは"アナログ盤"と呼ばれるようになったし、手のひらに収まる小さな機械でいつでもどこでも音楽が聴ける環境が出来上がった。

長きに渡り高い評価と人気を維持する理由として、本作がリリース当時よりも山下達郎氏や大貫妙子氏の活躍の後より評価が高まったものであるという事実がある。
だが、作品への個々人の評価が高い理由はわたしたちの、人間の本質にあるような気がする。(あくまで、気がする)
いつの時代の人たちもきっと今で言う「エモくなる」のが好きなのではないか、と。きっと『SHOW』のイントロに胸をときめかせ心躍らせ、「Down townへくりだそう〜」と体を揺らしながら口ずさみ、大貫妙子氏の風とともにふわりとやってくるような、しかしながら凛とした歌声に酔いしれたことだろう。もっと勝手語りすると、『いつも通り』では、いつもと変わらぬにぎやかな街並みと、"どんなに深く 心かよわせても 言葉ひとつが はじめのさよなら"と歌う"わたし自身"との対比が少しだけ胸を切なくさせる。曲中のSax soloがまた、それはそれはイイカンジ、なのである。また、アルバム本編最後に収録されている『SUGAR』(私はアルバム中で一番好きかもしれない。30周年記念盤に収録されているwild mix versionはまさに「ワイルドミックス」で思わず笑ってしまう)は、ハチャメチャに駆け巡る声やパーカッションを多彩に用いる遊び心と、想像を遥かに超えてくる達郎氏の甘くセクシーな声、重厚だが遊戯のようなコーラス、切なすぎてアアァァァってなってしまう(としか言い表せないような…即ち語彙力に乏しい)メロディーラインが予想外のマッチを見せ、まさに究極の作品である。そしてそれらひとつひとつがやはり「全くもって古くない」。

 

そして最後にもう一つだけ。(まだあんのかよって声が聞こえてきそうな)

本作のアートワークを手がけた金子辰也氏曰く、このアルバムジャケットにはミューズコットンか何か、ざらりとしていてわざと汚れやすい紙を選んだらしい。何度も出し入れして、手垢や指の跡が沢山つくぐらい聴いてほしいという願いが込められていると知った。ああそういう思いを、願いをもった人がいた時代だったのだ。なんて最高。綺麗に汚さず保存したいとか、人に貸して汚れるのは嫌だとか、iPodに入れたからCDは引っ張り出さないとか、歌詞が分からなければインターネットで歌詞サイトを見ればいいとか、何ひとつ全く間違ってはいないけれど、そもそも幾度と人の手に渡り耳に触れるのが音盤の役割で、歌詞を見つめながら一人部屋の中流れてくる音楽を楽しむような親しみ方が原点だったりするのもまた事実だから。そういうアナログを2015年に持ち込むこともまたイイのではないか、と。何でも"ググって"しまう私たちだが、ひとつ手間をかけCDの歌詞カードを引っ張り出せば、アーティストが細部にまでこだわって作り上げた作品がそこにはある。歌詞の字体ひとつも、ページ構成ひとつにしても、こだわり、思い、願いが詰め込まれているモノを放っておくわけにはいかない。

私の大好きな今を生きるアーティストの音楽も、こうして40年後誰かに胸を痛めて聴いてもらいたいなあなんて考える。シュガーベイブが常連だった荻窪ロフトというライブハウスはもうないけれど、音楽は40年間愛され続けてきた。そしてきっとこれからも名盤として誰かが語り継ぎ愛され続け永遠になるのだろう。なんて素晴らしい。音楽って素晴らしい。

 

youtu.be