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つらつらと身勝手にいきます

40年を生きた名盤のはなし

わたしは音楽が好きだが、到底音楽ライターにはなれない。文章力云々は勿論のこと、主観的な語りしかできないただの音楽ファンである。しかしながらこの感動というのか、興奮というのか、良いモノに出会ってしまったからには誰かに話を聞いて欲しくて欲しくてたまらないというタチの悪い仕方のない奴であるというのも、また事実。

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永遠の名盤 シュガーベイブ『SONGS』が発売されたのは今から40年前、1975年のことである。本作は今まで一度も廃盤になることなく、40年の間にリマスター、リミックスを経て更新され続けている。私が聴いているのは、2005年にリイシューされた30周年記念盤である。

私が一番に言いたいことは、兎にも角にも「2015年の今においても全く古くない音楽である」ことだ。

本作が経てきた40年という年月はあまりにも長い。単純に考えても生まれたばかりの赤ん坊だった人間が学業を経て成長し大人となり、幾多の恋を経験し、誰かとの間に子供の一人や二人もつぐらいの年数である。(なお言うと、わたしはまだその半分しか生きていない)世紀を超え、様々な新しい音楽が生まれ、レコードは"アナログ盤"と呼ばれるようになったし、手のひらに収まる小さな機械でいつでもどこでも音楽が聴ける環境が出来上がった。

長きに渡り高い評価と人気を維持する理由として、本作がリリース当時よりも山下達郎氏や大貫妙子氏の活躍の後より評価が高まったものであるという事実がある。
だが、作品への個々人の評価が高い理由はわたしたちの、人間の本質にあるような気がする。(あくまで、気がする)
いつの時代の人たちもきっと今で言う「エモくなる」のが好きなのではないか、と。きっと『SHOW』のイントロに胸をときめかせ心躍らせ、「Down townへくりだそう〜」と体を揺らしながら口ずさみ、大貫妙子氏の風とともにふわりとやってくるような、しかしながら凛とした歌声に酔いしれたことだろう。もっと勝手語りすると、『いつも通り』では、いつもと変わらぬにぎやかな街並みと、"どんなに深く 心かよわせても 言葉ひとつが はじめのさよなら"と歌う"わたし自身"との対比が少しだけ胸を切なくさせる。曲中のSax soloがまた、それはそれはイイカンジ、なのである。また、アルバム本編最後に収録されている『SUGAR』(私はアルバム中で一番好きかもしれない。30周年記念盤に収録されているwild mix versionはまさに「ワイルドミックス」で思わず笑ってしまう)は、ハチャメチャに駆け巡る声やパーカッションを多彩に用いる遊び心と、想像を遥かに超えてくる達郎氏の甘くセクシーな声、重厚だが遊戯のようなコーラス、切なすぎてアアァァァってなってしまう(としか言い表せないような…即ち語彙力に乏しい)メロディーラインが予想外のマッチを見せ、まさに究極の作品である。そしてそれらひとつひとつがやはり「全くもって古くない」。

 

そして最後にもう一つだけ。(まだあんのかよって声が聞こえてきそうな)

本作のアートワークを手がけた金子辰也氏曰く、このアルバムジャケットにはミューズコットンか何か、ざらりとしていてわざと汚れやすい紙を選んだらしい。何度も出し入れして、手垢や指の跡が沢山つくぐらい聴いてほしいという願いが込められていると知った。ああそういう思いを、願いをもった人がいた時代だったのだ。なんて最高。綺麗に汚さず保存したいとか、人に貸して汚れるのは嫌だとか、iPodに入れたからCDは引っ張り出さないとか、歌詞が分からなければインターネットで歌詞サイトを見ればいいとか、何ひとつ全く間違ってはいないけれど、そもそも幾度と人の手に渡り耳に触れるのが音盤の役割で、歌詞を見つめながら一人部屋の中流れてくる音楽を楽しむような親しみ方が原点だったりするのもまた事実だから。そういうアナログを2015年に持ち込むこともまたイイのではないか、と。何でも"ググって"しまう私たちだが、ひとつ手間をかけCDの歌詞カードを引っ張り出せば、アーティストが細部にまでこだわって作り上げた作品がそこにはある。歌詞の字体ひとつも、ページ構成ひとつにしても、こだわり、思い、願いが詰め込まれているモノを放っておくわけにはいかない。

私の大好きな今を生きるアーティストの音楽も、こうして40年後誰かに胸を痛めて聴いてもらいたいなあなんて考える。シュガーベイブが常連だった荻窪ロフトというライブハウスはもうないけれど、音楽は40年間愛され続けてきた。そしてきっとこれからも名盤として誰かが語り継ぎ愛され続け永遠になるのだろう。なんて素晴らしい。音楽って素晴らしい。

 

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